H.Iさん(30代男性/茨城県)
私は今回自己催眠習得コースに参加しました。催眠を、「自分」というブラックボックスの探求をするのに有効なツールのうちの一つだと判断したからです。これまでにも何度か催眠療法を受けたことがあり、ある程度催眠がどういうものかは、わかっていました。しかし、今回このコースに参加して、友部氏の明快な説明を聞き、かつ実際に再度催眠を体験し、論理的にも、実感としても催眠を理解することができました。「ツール」などという言い方をすると、自身の問題に真剣に取り組んでいる人からすると、不謹慎な言い方であるように聞こえてしまうかもしれませんが、私もまた、「真剣に」自身に向き合っていることをご理解ください。その上であえて、「ツール」という言葉を使わせていただきます。
では、そのツールを使って、私はいったい何をしようとしているのか。冒頭にも書きましたが、「自己探求」と、それによる「自己成長」。これが、一言で言った場合の私の目的と言うことになります。そして、私にとっての理想の状態は、「心安らかでいること」です。さらにいうなら、これらの目的を自分で達成したい。というのが、現段階での私の素直な気持ちなのです。人から学ぶことももちろん大切だし(今回に関しても基本の部分で「学ぶ」という行為が含まれているわけですし)、本などから知識を仕入れることも重要です。しかし、私は「自分で知りたい」のです。自己催眠はそのための有効なツールになりえるというわけです。
前半友部氏から理論的な説明を聞き、後半はいよいよ実体験です。友部氏のガイドに従って、自分のイメージの中に少しずつ沈んでいきます。手足が暖かくなり、また、細胞一つ一つのバイブレーションが高まり、明らかに自分が催眠状態に入っていっていることがわかります。以前はこの段階で、「これが催眠なの?」という疑いが出てきたため、確信のないまま、体験を終了することになりましたが、今回は論理的に理解できているので、「これでいい」という安心感があり、催眠状態を十分に楽しむことができました。その後、いくつかのステップを経て、最終的にイメージの中で、ある場所にたどり着きました。そこは神殿のような場所で、白い着物を着た老人がいました。それらは自分で作っているイメージではあっても、自分が「意図的に」作り出しているという感じではなく、潜在意識がオートマティックにそれらのイメージを見せてくれているという感じでした。ここで私は友部氏の誘導に従って、この老人にいくつかの質問をしました。
質問1「心安らかでいるにはどうすればいいでしょうか?」
回答「あきらめなさい」
なんじゃそりゃ。いきなりあきらめろとは!一瞬そう思いましたが、次の瞬間「あぁ、なるほど、私の望んでいるような状態での達成はありえないということだな」と、感じました。ちなみに最初の老人の回答も、老人がそれを実際にしゃべるという感じではなく、「あぁ、こう言いたいんだな。」と「わかる」という感じです。
質問2の前に私が望んでいる状態について説明しておきます。「トラウマやカルマを消して消して消しまくって、あらゆることに動じない精神を作り上げる」というのが、それです。つまり喜怒哀楽の感情を持たないのが私の「安らかさ」の定義であったわけです。ちょっと考えればわかるけど、そんな状態あるわけないですよね。でも、自分自身に真剣になればなるほど、時としてこういう陥穽に陥ってしまうものなのです。私の内なる存在は、それを「あきらめろ」の一言でさとしてくれたわけです。さて、それでは、そのように言ったのはいったい誰なんでしょう。私のイメージの中の老人が言ったわけですから、「私」なんでしょうか?答えはイエスであり同時にノーである気がします。いずれにしろ催眠状態がもたらしてくれた現象であることだけは確かです。
質問2「では、どういう状態であれば達成できるのか。」
これには二つの答えが返ってきました。
一つ目は「必要があって今の自分が今の自分のような状態で存在しているわけだから、ことさらに変化させる必要はない」という回答。
そしてもう一つは喜怒哀楽その他いかなる感情にも、「抵抗」することなく、感情に応じて自分が動いていけばいいという回答。今の自分をそのまま認め、苦しみなら苦しみと、悲しみなら悲しみと、そして怒りなら怒りと「ともにあればいい」のだ、それが「安らかさ」というものなのかもしれないなと、私はこのとき思いました。
そして、質問3「自己催眠は私にとって、どう役立ちますか?」
回答「自分を知ること」。まさに、そのとおりだと思いました。以上私は今回のコースでいかなるツールを手に入れたのかもうおわかりのことと思います。
最後になりましたが、有効なツールを与えてくれた、友部氏に感謝の言葉を述べたいと思います。「ありがとうございました。」と同時に、真剣に生きるすべての人の「幸せ」を祈って、筆をおきたいと思います。
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